伝説のシンガー・ソングライターである
尾崎豊さんが亡くなってから20年。
『「尾崎豊特別展」OZAKI20』の記者内覧会が6日に東京・ラフォーレミュージアム原宿で行われた。そこに素晴らしいゲストが登場したのである。長男の
尾崎裕哉である。彼は今ラジオDJとして活躍しているが報道陣の前で歌唱するのは初めて「こんなにカメラの前に立つのはなかなかないので緊張してます」と苦笑いをしながらも
尾崎豊の代表曲
「僕が僕であるために」を熱唱した。
尾崎豊を知っている人も知らない人も彼の名前ぐらいは知っているだろう。
1992年に亡くなったので、今年で20年。節目節目でテレビでも大きく取り上げられるからね。今の小学生が聞いても好きになる子はたくさんいて、ましてや思春期に聞いたら大ファンになってしまうだろう。
尾崎裕哉の歌を聞いたことがあるだろうか?聞いたことがないのなら一度聞くことをお勧めするね^^
私は聞いたときに驚いた。声が似てるからではない(もちろんそれもあるけど)曲に、歌詞に、感情をのせて歌うその感性に驚いたのである。DNAっていうのはこういうことか~と思った。
尾崎裕哉は公言しているよね。誰よりも
尾崎豊のファンであること、そして10代の半ば頃は
「尾崎(豊)になりたい」と思っていたことをそして、尾崎豊の曲を何度も聞いて歌い方を真似て、その生き方を学んでいたということを。。父親である
尾崎豊の記憶は全くないというが、そのDNAはしっかりと受け継いでいる。
裕哉はいま慶応義塾大学4年生で人種・貧困・環境などの社会問題を学んでいる。夢は
「音楽で地球を救う」これもやっぱりDNAのなせる技なのか。
尾崎豊が救おうとしたのは若者、つまり若かりし頃の自分(
尾崎豊)だったような気がする。
思春期は誰にでもあるものだから、経験があると思うけど、つまらない(後になってみれば)ことで悩むよね。特に自分本位な時期だから「自分はなぜ・・・」みたいなことで悩む。
もちろんそれは人間の成長の過程で必ず通る道で決して無駄ではないと思う。その過程を踏み越えて、彼女への愛、妻への愛、子供への愛、隣人への愛・・・と徐々に愛する幅が広がっていくと思うんだ。
そして父親が生きていればそのことを教えてもらえたのかもしれないけど、彼には父親がいなかったからね。
その代りに素晴らしい歌があった。
尾崎豊の歌詞はきれいごとではなかったから、理解できない人もいたかもしれないけど、彼の思っていること経験していることを吐き出したような歌詞だから重いよね。知らない人は一度読んでみるといい。そして考えてみるといいかも。
さて、
尾崎裕哉はどこに行きたいんだろうか?
偉大なロック歌手・
尾崎豊を父に持ち、素晴らしい歌声を持っている。周りは自然と歌手デビューを期待するよ。今度の
『「尾崎豊特別展」OZAKI20』での
「僕が僕であるために」を聞いたスタッフの中には涙を浮かべながら聞いていた人もいるらしい。気持ちはよくわかる。
『InterFM』のテレビCMで
尾崎豊の名曲
「I LOVE YOU」をカバーしたときの歌声を初めて聞いたときは背筋がゾクゾクっとなったのを良く覚えている。というか今聞いても涙がこぼれそうなほど感動してしまう自分がいる。
そんな歌声を持っている
尾崎裕哉だからこそ歌手デビューを期待してしまうんだ。そして多くの人を救ってほしいし、世界中の人に希望を与えてほしい。
本人はマイクロソフトを辞め、発展途上国での教育支援を行う社会起業家となったジョン・ウッド氏のようにいつかは社会起業家になりたいらしい。
人に影響を与えるという意味では、そして人を救うという意味では
尾崎豊と同じ夢を追ってるね。しかも音楽でそれをやろうとしているんだからどこかで歌声は聞けることになりそうだ。そうなればうれしいことこの上ないでしょ!
最近の若者は・・・というのはいつの時代もいわれることだけど、実際目標意識のある人はどのくらいいるんだろうか?これは若くても年をとっても同じで日本の教育システムに乗ってしまった人たちは誰かに指導してもらわないと動けない人たちばかりである。つまり自分で考えて行動できない人ばかりということ。正解が見えないと動けないんだよね。
でも、人生において正解なんてないんだから、というか自分で考えて動いたときに初めて自分なりの正解が見えてくるのであって、人に教わってもそれはあなたの正解ではないということを
尾崎豊の生き様から学んだような気がするんだ。たぶん息子の
裕哉もそうなんじゃないかな?だから彼は動いてるんだ。
尾崎裕哉の今後に注目して、そして期待いっぱいで見守ろうと思う。
2012-09-07 14:38
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